22十神概論

はい。カメラを変えてみたんですけど、どうでしょうか。今までは動画撮影でピントが合わないとか色々あったので、ちょっとカメラを変えました。すごく白っぽく撮れるような感じなのか、逆に明るく撮れすぎるのか、まあうまくいくといいんですが。もしダメならまたランチャーを替えてみるしかないですね。

さて、前回までサジュ(四柱)の歴史の話をちょっとしたんですけど。私、もともとあんまり話を横道に逸らすタイプではないんですよ。しかし色んな流れがあって、そのうち「この年代はこうなんだ」「こういう時代背景だったんだ」みたいなことに興味を持ってくださる方もいるので、少し説明したんですね。ただ、歴史や年代の話が複雑でわかりにくかったのか、質問をかなり多くいただきまして、ちょっと面倒というか…私もそこまで深く掘り下げるつもりはなかったんですが、まあ、なるほどと。

ともあれ、そうした話を続けるとキリがなくなってしまうので、今日は本題である「十神(シップシン)」に入ります。十神に入る前に「地支(じし)=地の十二支」をどう捉えるか、あるいは「天干(てんかん)=天の十干」でいう正財・偏財・正官・偏官…といった用語について、いわゆる“十神”とは何なのか、という枠組みをあらためてお話しします。

たとえば、十神には「正官」「偏官」「正財」「偏財」「食神」「傷官」「比肩」「劫財」「印綬」「偏印」というように、全部で10個あるわけですが、要は「五行の生剋理論(相生・相剋)」をもとにして、「日干(=自分)」から見て、相手(他の干)がどういう位置づけにあるか」を表しています。そうすると、人間社会や物質世界に当てはめた時、「これはお金を表すものだ」「これは名誉(官)を表すものだ」「これは自分と同質の仲間(比肩・劫財)だ」「これは学問・知識(印綬)を表すものだ」といった具合に定義しているわけですね。

一部の人は、十神のことを「六親(リュッチン)」「六神(リュッシン)」と言ったりしますが、結局は同じ概念で、「自分を含めたかどうか」など、数え方の違いがあるだけです。これをこだわって区別する人もいますが、あまり気にしなくていいですね。十神という呼び方を把握しておけば足ります。

それから、よく「天干だけで見る十神」「地支の中に隠れている“蔵干”を含めた十神」というように言いますが、地支の中の蔵干(ぞうかん)まで全部考えると、さらに複雑になるわけです。最初のうちは、月支や日支・時支の「表に出ている干」だけをメインに見ておいて、慣れてきたら地支の中の蔵干も少しずつ考える…というやり方でいいと思います。いきなりすべてを見ようとすると、非常に混乱しますから。

さらに「天干は一対一に対応しているけれど、地支の蔵干は一対一じゃない」「地支の中には複数の五行が隠れている」といったルールもあります。そうすると、たとえば「子(ね)の中に○○の気がある」「寅(とら)の中に○○がある」といった具合に、いくつかの要素が混在してくる。ここまで踏み込むと非常にややこしいんですよね。

そこで、まずは“十神”全般のイメージをざっくり持っていただきたいんです。

  • 比肩・劫財 → 自分と同じ性質
  • 食神・傷官 → 自分から発散されるエネルギー
  • 正財・偏財 → 自分がコントロール(相剋)する対象=いわゆる「お金」や「目標となるもの」
  • 正官・偏官 → 自分をコントロール(相剋)する対象=いわゆる「社会のルール」「名誉・地位」など
  • 印綬・偏印 → 自分を生かす(相生)対象=いわゆる「知識・学問・母性」など

ところが、現代社会では「本当にお金が自分に支配されるのか? むしろお金に振り回されてるんじゃないか?」とか、「会社(官)が自分を支配してるよね」みたいな話もあり、古典的な五行理論とのズレも生じています。でも、あくまで理屈としては、「日干から見て『こっちは生かす側』『こっちは剋する側』」という相対関係から名前を付けている、ということです。

さらに「正財と偏財」「正官と偏官」「印綬と偏印」など、似たような十神の違いは「安定志向か、冒険志向か」といったふうに理解しておくと、解釈に幅が出ます。たとえば正財は「堅実なお金」、偏財は「リスクを取って増やすお金」。正官は「きっちりルールに沿った社会的地位」、偏官は「どこか武断的・冒険的な地位」のイメージ…といった具合ですね。

また、十神を「肉親関係(母・父・妻・夫・子)などに対応づける」解釈もありますが、そこだけに囚われると、どうしても古臭い解釈に偏ってしまいます。現代社会では「お母さんが印綬だ」とか「お父さんが偏官だ」などと直結させるよりも、もう少し抽象的・心理学的に「こういう意味合いのエネルギーなんだ」と捉えるのがオススメです。



要は、「十神=人の行動原理・心理的要素」として見る、ということです。たとえば…

  • 食神・傷官:やらずにいられないこと。自分が作り出したいもの、発散したいもの。
  • 正財・偏財:欲しくてたまらないもの、達成したい目標。
  • 正官・偏官:やらなければならないこと、守らなければならない規範。
  • 比肩・劫財:仲間や同志との連帯・競争、あるいは自分の力量。
  • 印綬・偏印:自分の基盤となる知識、学問、サポートしてくれる存在。

こんなふうに「現代社会に合わせた十神の理解」をベースに、そこに「干支」が絡むと、「じゃあ甲木×正財の場合は? 庚金×正財の場合は?」といった形でさらに具体的に展開できます。甲木と庚金ではお金(正財)の性質も違いますし、あるいは庚金×偏財でも、庚金×正財でも、それぞれ微妙に変わってくる。

たとえば甲木が正財を得るときと、庚金が正財を得るときとでは、お金の稼ぎ方や使い方が違ったりするわけです。甲木は大きく伸びて外向きに活動するイメージですし、庚金は硬さや加工力を持つイメージなので。そこが「同じ正財でも性質が違う」ということになるんですね。

だから、単に「正財はお金だから…」「偏財は浮気しやすいから…」みたいな単純な決めつけだと、深い解釈ができない。どういう素材(五行+陰陽)で、どんな性質を持つか? それが「十神」×「干支」でクロスして見えてくる、というわけです。

ここまでが「十神を体系的に学ぶ理由」で、実際にはこれに「格局(がっきょく)」の考え方や「蔵干」の読み方を合わせると、より深い解釈が可能になります。けれど、いきなり全部を学ぼうとするとパンクしますから、まずは「十神とはどういう意味合いなのか」をしっかり理解してください。そのうえで、五行や干支の組み合わせを少しずつ落とし込んでいくといい。

本に書いてある内容も、そういった前提を踏まえて進めるとグッとわかりやすくなるはずです。ノートを作って、たとえば「正財・偏財」「正官・偏官」「印綬・偏印」「食神・傷官」「比肩・劫財」のイメージをまとめたり、自分の家族や友達のホロスコープ(四柱)を見ながら「なるほど、この人は甲木で偏財が強いからこういう性格なんだな」とか、そこに干支を当てはめて「酉金だからこうなるのか」と確認したり…。そうやって少しずつ経験値を積んでいくと、自然と解釈の幅が広がっていきます。

急いで「干合・支合」とか「刑沖破害」「十二運」などを学んでも、十神の基礎がわかっていないと使いこなせません。なので、焦らずにゆっくり行きましょう、という感じですね。

私もまだカメラ慣れしていなくて、ちょっとピントが怪しいかもしれませんが…。何とか今日の話はここまでとします。では、また次回に続きます。(音楽)

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