えー、今回は7番目(あるいは8番目)のテーマでしょうか。「2015年の云々… 双手成長云々…」というふうに、“財が弱い(=自分が弱い)”とか、“再び○○年というのは~”といった話題を取り上げながら、「自我(身)が弱い=しんどい」とする古い説に対し、現代社会で実際観察してみると、そう単純でもない、という話のようですね。
1. 「自我(身)が弱い=ダメ」みたいな昔の決めつけ?
昔は「身弱(自分が弱い)だと、財(お金)を扱えない=苦労する」とされがちでした。ところが現代を見渡すと、
- いまの時代は「身弱だから必ずしも上手くいかない」「財を得られない」とは限らない。
- 「身弱」と言われる人が意外と多いのに、ちゃんと社会で成功していたりする。
そこには「社会構造が変わってきた」ことが影響している、という考え方が出てきます。
昔ながらの四柱推命解釈を、そのまま2020年代に当てはめると、どうも辻褄が合わないぞ、というわけです。
2. 例として、「2015年アメリカの経済学の議論」と“所得主導成長”の話
筆者は「アンガス・ディートン(Angus Deaton)」という経済学者の論文などを引き合いに、「(現代で言われる)所得主導成長は、貧富格差の緩和と関係している」みたいな話をしています。
韓国でも“所得主導成長”という政策が、社会主義的だとか、いやそうじゃないとか、様々な批判を受けていますが、実は世界的に見れば、貧富格差を抑制するためにある程度の福祉を分配する手法が一定の効果を持ちうるという議論がある、と。
- 2015年アメリカでノーベル経済学賞を取った論文でも、「単なるトリクルダウンではなく、下支えする福祉政策」が重要と説かれている。
- しかし一部の人は「そんなのは不要だ」と言い、「もっと大規模な減税で…」など全く別の主張をする。
- 実際、先進国という国々でも福祉制度を整えていたところは、今回のような不測の事態でも何とか乗り越えられている例がある。
こういう「社会構造」を背景に、「身弱だから財を扱えない」とか「一生苦労するしかない」という古い考えは、現実と合っていないかもしれない、と主張しているわけです。
3. (四柱推命から見て)“財が弱い・身が弱い”人の特徴と現代社会
四柱推命における“財”は、お金や稼ぎだけでなく、「事業をする力」や「目標を実現する力」と解釈できる。
一方、「身弱」というのは「自分自身の基盤が弱い」ということだが、現代では、次のように考えられるのではないか、と。
「身弱」でも、むしろ高いモチベーション(=お金を得たい、起業したい、目標を達成したい…)があれば、
いろいろ努力して、ちゃんと結果を出せる可能性がある。昔のように“身弱→詰む”ではない。
なぜなら、昔は家系・血筋・財産など、格差が半ば固定化されていたが、今はネットや教育制度などさまざまな形でチャンスを得られる場合も増えたから。
とはいえ、「その人がどんな親のもとに生まれるか」も依然として大きいのが現状。
- 親が大金持ちなら、子どもは医者になる道を自然に選んだり、経済的に苦労せず勉強できたりする。
- 逆に、貧しい家庭だと「もうお金ないから、大学なんて行かないで働いて」という話になるかもしれない。
これを「四柱推命の財・身弱の理論に当てはめても、昔のままのロジックでは説明し切れない」ということを言っているわけです。
4. “身弱+財”をどう扱うかは、教育(または子どもの環境)次第
続けて、筆者は韓国の教育事情の話を持ち出して、「特別目的高校(特목高)がいっぱいできて、かえって不公平が広がった」という例を挙げます。
- イ・ミョンバク政権時代、特목高を大量に設置した結果、金持ちの子どもがそこへ進み、それがさらに一部の有利層だけの“進路”を確立する構図に…
- 本来の“天才を育成する専門校”という趣旨とはズレて、普通にそこそこの学力の子が入っても、ついていけずメンタルを病むなど、弊害がいろいろ起きている。
これが「貧富の差がさらに固定化される一例」として語られる。
「身弱だけど財を稼ぎたい」という子が、家庭の経済事情で余計に苦労したり、または金持ちの家の子が、別に大して向いていない医者or専門コースに放り込まれて結果微妙になる、などなど。
- だから、本来なら“平等な教育”のほうが、個々の能力を伸ばしやすいのではないか?
- そうしないと、“四柱推命で言うところの財運”を発揮できる人材を、本来なら育てられたのに育てられない事態が起きているのではないか?
5. 四柱推命見るなら、社会背景も踏まえろ、という話
筆者いわく:「四柱推命で個々人の運を見る際に、その時代や社会がどういう制度かを無視しては、正しいアドバイスがしづらい」ということ。
- たとえば、イ・ミョンバクやパク・クネ政権のときに合わせて生き方を考えるなら、また違う戦略があるだろうし、
- 文在寅政権や、あるいは次の政権で福祉や教育のあり方が変わるなら、それに応じた生き方を選択する必要がある。
- そこを考慮しないまま「身弱だから無理」「財が弱いからだめ」などと言っても、時代遅れだ、と。
つまり四柱推命によるアドバイスをするにしても、**「社会の変化に合わせて、自分のポテンシャルや財を活かす道を探るべき」**であって、古典のまま「身弱=もうだめです」なんて結論を出すのはナンセンス、という立場です。
6. 実際「身弱なのに」大成功する人はいくらでもいる
筆者自身、「自分が身弱な四柱だけど、結局は社会の仕組みを踏まえた工夫をすればどうにでもなるよ」「大企業のサービス部門など“身弱向き”の分野で成功している例も多い」と紹介。
- “身弱=夢を描く力はあるけど、地に足を付けるのが苦手”という印象もある。しかし、ウェルビーイングを目指す今の世の中では、むしろこういう想像力がプラスに働くこともある。
- お金を得たいなら、「目標をちゃんと立てて動けば、それなりに稼げる」はず。
- あとは周囲の支援や、政策などの環境が後押ししてくれれば、身弱であっても十分やっていける。
7. まとめ:現代社会では“身弱”も十分活躍できる
- 従来の四柱推命では「身弱=財をうまく扱えず苦労する」と決めつけがちだった。
- しかし現代では、教育制度の変化、経済制度の変化、ITや福祉の仕組み、いろいろな背景を踏まえれば、身弱でも自分に合ったやり方で成功する道がある。
- ただし、「本来可能性のある人材を、社会制度の不備で取りこぼす」ケースもあり、“平等な教育”や“所得主導成長”などの政策は、四柱推命的視点でも大事に思える…というような話を展開している。
最後に: 「だから私(筆者)は身弱だからといって怖がることもないし、むしろ今の時代にはプラスだ、と感じる。
今後も韓国各地を回りながら四柱推命を見ているが、相談者もたくさんいて、身弱だけど上手くいっている人も多い。
ウェルビーイングな社会だからこそ、身弱には生きやすいし、財を伸ばすチャンスもある」と語って締めくくっている雰囲気です。
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